2018年 03月 10日
【家への愛着ってなんだろう?】 |
とはいってもいくつか問題点もあり、解決すべき事柄も出来した。
まぁ物事には完璧はないし、解決できるように頑張るしかない。
で、引っ越し屋さんに荷物を持って行ってもらうと、
27年前からのわが家でのことが、フラッシュバックのように復元体験する。
わたしの住宅体験というのは、
1、 3才までの幼少期を過ごした岩見沢市近郊の農家住宅
2、 3才から16才まで過ごした札幌市中央区北3条西11丁目の兼用住宅
3、16才から大学進学で離れて以降、実家となった西区24軒の兼用住宅
などなどから始まって、東京生活での9年間の賃貸住宅数軒
札幌移転後の数軒の賃貸住宅などを経て
いまのこの住宅にまで至った。
本格的な「巣」として、この家での居住期間がもっとも長くなっていた。
それらの住居群は、折節、生々しい体験夢を見ることがある。
その頻度は体験した時間の長さに比例するように思う。
不思議と、そのとき過ごしている家というのは、そういう体験夢からは
除外されているか、あくまでも「背景」としてしか認識されない。
そういうことで、夢に見るのは2の家のことが圧倒的に多い。
ちょうど成長期に相当して、感受性が揺籃されることもあるのだろう。
その札幌の街中の家は、しかし、札幌原生林をそのまま残した
「北大植物園」に隣接していたので、
窓の外にはいつも原始林が見えていて、街中なのに
飼育されていたエゾオオカミが月夜に遠吠えをあげるような
そんな原始北海道的な体験記憶が刷り込まれている。
人間の初源形成でこういう空間性記憶がどのように影響するか、
いろいろなことが想起されるように思うけれど、
ハッキリとした明示的なことは言い切れない。
しかし、繰り返し想起する情念のふるさととして機能するのは明らか。
これから数十日、たぶん1ヶ月ほど、すこし客観的に
この27年間という人生の半分近くを共生した家について、
考えたり、情動を持ったりする、そういう時間を過ごすことになる。
表題のようなことを、すこし考えられるきっかけになるかも知れない。
by replankeigo
| 2018-03-10 05:35