2017年 12月 16日
【俵屋宗達「澪標」図と日本の文化ビジネス】 |
なんかエラそうですが、私的使用であればこういう国宝を使える時代に感謝。
琳派というのは、日本で発生した美術運動として、
深く日本人の心情に根ざしている部分があると思っています。
琳派を集団として創始し率いた意味では尾形光琳が開祖でしょうが、
その光琳が時代を超えて私淑したのが俵屋宗達であり、
宗達が遺した「風神雷神図」を神のように扱って忠実に模写したとされる。
江戸期を通じて尾形光琳は名高かったけれど、
明治以降になってはじめて俵屋宗達がその起点とされるに至ったそうです。
その宗達さんの国宝作品が、こちらの「源氏物語関屋澪標図」。
澪標というのは、船のための交通案内標識ということで、
大阪・難波の津のそれが深く象徴的なランドマークとされていた。
しかし一方「みおつくし」という発音がなんとも文学的で,早い歴史時期から、
「身を尽くし」というように表現的な膨らみが常態化していたようです。
わたしなどはその語感から,最初から「身を尽くし」という意味と誤解していた。
この絵は光源氏がある宗教施設を参拝するために訪れた様子を描いている。
金地に華やかな色彩、王朝風ファッションが描かれている。
以下、所有する静嘉堂文庫美術館HPの紹介文転載。
〜宗達は京都の富裕な上層町衆や公家に支持され、
当時の古典復興の気運の中で、優雅な王朝時代の美意識を
見事によみがえらせていった。『源氏物語』第十四帖「澪標」と
第十六帖「関屋」を題材とした本作は、宗達の作品中、
国宝に指定される3点のうちの1つ。直線と曲線を見事に使いわけた
大胆な画面構成、緑と白を主調とした巧みな色づかい、
古絵巻の図様からの引用など、宗達画の魅力を存分に伝える傑作。〜
という説明なんですが、かれが生きた江戸初期というのは、平和が訪れて、
京都の町衆にはこういう古典趣味がもてはやされていたのでしょう。
一説ではかれは「俵屋」という扇子を扱う商いをしていたとされます。
扇子は和服の美を最後に仕上げるようなファッション素材だったようで、
その美を引き締める最大の要素だったのでしょうね。
端麗な服装に身を包んだ女性たちが、ふとしたときに開く扇子の絵柄に
そのひとの美感や文化性が一点に集中・注目する瞬間があったに違いない。
それが相対するひとに強烈な印象を植え付ける情景が目に浮かぶ。
そういうことで時代の人気を得たことで、美術作品制作の依頼が
各所から俵屋宗達に寄せられていくに至った。
小物の製作で名が上がっていって評判を呼び、
それに目をつけた寺社仏閣などが、争って制作依頼をしたに相違ない。
この作品も京都の名刹・醍醐寺からの依頼で描いた作品。
後年、三菱財閥の創始者たちが醍醐寺に巨額の寄進をおこなって、
その謝礼として三菱・岩崎家にこの作品は贈呈されたとされます。
一種の売買なんでしょうが、美術工芸などはこうした形態の取引で
なされていたのが、日本文化なのでしょうね。
日本における「文化ビジネス」の状況が垣間見えてくるようです。
おっと、つい下世話な部分に想像が及んでしまった(笑)。
by replankeigo
| 2017-12-16 07:24